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書籍㉒大廃業時代の町工場 生き残り戦略

「遊ぶ鉄工所」、「踊る工場」に続く町工場ブック第三弾です。

 

タイトル   大廃業時代の町工場 生き残り戦略

出版社    リバネス出版

著者     浜野慶一

価格(税別) 1,800円

 

中小企業経営者     ☆☆☆ ☆

中小企業診断士勉強者  ☆☆☆

 

<内容>

1968年に現社長の父が墨田区八広に始めた浜野製作所。

1993年に突然先代が亡くなり、現社長がいきなり引き継いだ。

さらに2000年に建設中の本社兼工場が近隣の火災により全焼、そこからさまざまな人に助けられ、全国でも注目の製造工場となった。

 

2003年に墨田区より優良工場として「フレッシュゆめ工場モデル工場」に指定され、墨田区、早稲田大学との産学官の連携もスタート、2018年に「日本ものづくり大賞」を受賞し、天皇陛下も視察に訪れるまでに成長した。

 

経営理念は、「おもてなしの心」を常にもってお客様、スタッフ、地域に感謝・還元し、夢(自己実現)と希望と誇りをもった活力ある企業を目指そう!である。

 

これは単なるお題目ではなく、社員が毎日唱和したいと言うほど社内に浸透している。なぜなら、社長が火災直後の苦しい時に、残ってくれた社員、工場を貸してくれた地域の人たち、注文を出してくれたお客様に救われたことを忘れずに、その心情を社員も同じように理解しているからである。

 

さらにこの復活にはいくつもの理由がある。

 

まず一つ目は、先代の社長の言葉、「これから量産はどんどん海外に出ていく。これからは多品種少量生産の仕事をメインにしなければ駄目だ」である。また先代に言われて就職した先で、火災後にも唯一残ってくれた社員に出会う。

 

社長を継いだ後に、墨田区の若手経営者、中小企業の後継者の会に参加して一橋大学の教授に会い、工場見学の極意を教わる。

 

2003年に墨田区と早稲田大学とプロジェクトを始め電気自動車を作ることになった時に、墨田区から選ばれ、メインの工場として電気自動車を作る機会を得た。

 

さらに2009年には深海探査艇のプロジェクトにも参加し、信用金庫や芝浦工業大学と連携する機会を得た。

 

両方とも浜野製作所の技術の高さの評価であるが、他社が断る中であえて困難なプロジェクトに手を挙げた社長の判断がその後のメディア露出やさらなる技術力の向上につながった。

 

同時に社長は、墨田区にあった町工場が最盛期の9800社から2000社に減少し、80%の町工場が従業員5名以下の下請け企業であることを心配していた。そのために技術力にいかに付加価値をつけるかを常に考え、また自身が成長しなければならないとその機会をうかがっていた。

 

その結晶が、2014年に始めた「ガレージスミダ」というものづくり実験施設である。ここには最新の設備を設置してベンチャーやクリエーターなどアイディアはあるが製造方法が分からない人たちを支援している。

 

そこで、ベンチャーキャピタルの会社と出会い、そこからさらなる人との出会いがあり、今では多くのベンチャー企業のサポートをするまでになった。

 

自社にとってもそのベンチャーキャピタル企業経由で一流大学生のインターンをすることにより、取引先からの信用度が高まり、受注が増えた。

 

この実験施設を家賃の高い東京の下町に作った理由は、その立地を家賃が高い、つまり弱みと考えずに、ネットワークや情報力を活かせる、ベンチャー企業と物理的に近いため試作作りなどで速さを活かすことができるなど強みと考えたからである。

 

それ以外に、生産管理システムを入れて、工程を見える化し短納期を実現したり、顧客の求める物を常に考えて、顧客からの信用度を高めてきた。

 

現在二人いるトップ候補に社長が常に伝えていること:とにかく机の上だけで仕事をするな。誰かが困っていたら、自分で結論を出すだけではなく、どうやったらもっとうまく行くかの皆の意見をどうやったらくみ上げるかを考える。そうすることで一緒に仕事をする人の層が厚くなり、会社が一体化する。そして何よりも会社のビジョンの共有が大切。

 

<感想>

町工場の3つのシリーズに共通することは何か考えました。

 

顧客も異なり、取った戦略も異なりますが、社長が新しいことに対するチャレンジ精神が強く、また常に新しい業界の人に会い、その人の意見を聞いている事だと思いました。

 

日本の多くの町工場は良い技術を持っています。ただそれを上手く使う手段を知りません。そのためには経営者は外にどんどん出ていくしかないと思います。

 

大廃業時代の町工場 生き残り戦略 浜田製作所の奮闘記
町工場シリーズ第3弾